孤高の登山家、加藤文太郎。

昭和初期、兵庫県浜坂に生まれ、神戸で働きながら山の魅力にとりつかれた加藤文太郎。彼は強い精神力と並外れた体力・脚力を持ち、そして独自のスタイルを貫く登山家でした。
六甲全山を一人で縦走したり、日本アルプスの名山を冬季単独登頂した文太郎は「単独登攀の加藤」「不死身の加藤」と呼ばれていました。
ヒマラヤ登山を目指し、冬山を攻め続けた彼ですが、槍ヶ岳北鎌尾根で猛吹雪に遭い、31歳で帰らぬ人となりました。
「国宝的山の猛者」とも称された加藤文太郎は、今でも地元新温泉町で"文ちゃん"と呼ばれ親しまれています。

文太郎が遺した道

大正14年(1925)、文太郎は六甲山全山を一人で縦走しました。
神戸和田岬にある会社の宿舎から須磨へ行き、高取山、再度山、摩耶山、六甲山、東六甲宝塚を越え、帰宅。約100kmを21時間という驚異のタイムで走るように歩きました。
当時、六甲山を縦走しようと考える人物は少なく、縦走自体が周囲から驚かれたようです。
今では、そんな縦走路で3つの団体がレースを開催しています。「KOBE六甲全山縦走大会」「六甲全山縦走」「キャノンボールラン」。

また、文太郎は神戸から地元浜坂に歩いて帰ることがありました。その距離186km。
「拝啓 加藤文太郎 兵庫縦断スピードハイク」は文太郎の足跡を追う100マイル級イベントです。

地元浜坂で催される「浜坂三山縦走大会」は、文太郎が育った浜坂の山、観音山・城山・千々見山を歩く大会で、文太郎を顕彰する団体が主催しています。

彼の見た景色を、歩いた道を、今もなお多くのファンが楽しんでいます。

独自の登山スタイル

当時の登山と言えば、案内人と荷物持ちを雇い大勢で登る金持ちのスポーツであり、単独での登山は非常識とも言える時代でした。

さらに格好は普段着に地下足袋、大きなリュック、冬山ではカッパを体に巻き付ける独特のビバーグ。食糧はフライ饅頭に甘納豆、かまぼこ。
これらの創意工夫に満ちた独自のスタイルで次々と偉業を成し遂げ、文太郎は社会人登山家の先駆者となりました。

年表

【 誕生〜青年期 】
− 明治38年(1905) 0歳
兵庫県美方郡浜坂町浜坂(現・新温泉町)に生まれる

− 大正8年(1919) 14歳
浜坂尋常高等小学校(当時の中学校)卒業後、神戸の三菱内燃機製作所(現・三菱重工神戸造船所)に入社
− 10年(1921) 16歳
設計課の山歩き同好会「デテイル会」入会
− 13年(1924) 19歳
兵庫県内の国道や県道歩きを始める
− 14年(1925) 20歳
単独で六甲全山縦走をなす。往復21時間。
初の北アルプス(白馬岳)へ。本格登山を始める


【 活躍期 】
− 大正15年(1926) 21歳
立山、槍ヶ岳、北穂高岳、前穂高岳、北岳など夏の日本アルプスをはじめ、有名な山を次から次へと登る

− 昭和2年(1927) 22歳
藤木九三が創設した神戸ロッククライミングクラブに入会
− 3年(1928) 23歳
2月、鉢伏山から氷ノ山へ。初めての冬山
5月、残雪の剱岳、槍・穂高(単独)へ
− 4年(1929) 24歳
1月、7日間の八ヶ岳単独登山
2月、槍ヶ岳に7日間の冬季単独登頂し、新聞で大きく取り上げられる。冬山に傾倒していく
4月、東大山岳部桑田のリードにより奥穂高岳登頂
− 5年(1930) 25歳
1月、立山に7日間単独登山。弘法と剱沢で出会った土屋らが別離後遭難
− 6年(1931) 26歳
1月、猪谷-薬師岳-黒部五郎岳-三俣蓮華岳-鷲羽岳-烏帽子岳-大町を10日間で単独縦走。「単独登攀の加藤」「不死身の加藤」と呼ばれる。以後、単独での厳冬期登山は最長10日に及ぶようになる
− 7年(1932) 27歳
3月、氷ノ山-扇ノ山単独縦走中、凍死寸前になる
− 8年(1933) 28歳
1月、富士登山単独6日間。観測所員だった新田次郎(小説家・気象学者)と出会う
− 9年(1934) 29歳
三菱内燃機製作所の技術者における最高地位である技師に昇進
4月、吉田富久と前穂高北尾根登攀、吉田が凍傷を負う
− 10年(1935) 30歳
1月、花子夫人と結婚
3月、結婚披露宴のために神戸から浜坂へ帰る途中、八鹿駅で汽車を降りて扇ノ山や観音山に登ったため、披露宴に遅れてしまう
11月、長女登志子誕生
− 11年(1936) 31歳
1月、槍ヶ岳北鎌尾根にて吉田富久と共に遭難
4月、天上沢を登った松本高校山岳部員が2人の遺体を発見


【 没後 】
− 昭和11年(1936) 31歳
8月、遺稿集「單獨行」(津田周二編集)刊行

− 34年(1959)
仲間たちによって遭難現場近くに記念碑「文富ケルン」が建てられた。藤木九三が詠んだ短歌「ひた吹雪く 北尾根よ 命かまけ 積みしケルンの 高く去るしも」が彫られている
− 44年(1969)
加藤文太郎の生涯を題材とした小説「孤高の人」(新田次郎・新潮社)刊行
− 45年(1970)
「不撓不屈の岳人 加藤文太郎」と彫られた顕彰碑が浜坂の城山遊歩道に建てられる
− 平成2年(1990)
浜坂松林に「新田次郎文学碑」が建てられる
− 平成6年(1994)
浜坂に「加藤文太郎記念図書館」が建てられる。外観、内観ともに山をモチーフにしており、文太郎が実際に使用した登山靴やピッケルなどが展示されている資料室がある。また、5,000冊以上の山岳図書を蔵書する山岳図書閲覧室もある。
− 19年(2007)
小説「孤高の人」を原作とした漫画「孤高の人」(坂本眞一・集英社)が週刊ヤングジャンブで連載開始
− 22年(2010)
加藤文太郎の史実を元に描き出した小説「単独行者(アラインゲンガー)」(谷甲州・山と渓谷社)刊行
− 令和4年(2022)
新温泉町教育委員会の編集による漫画「マンガふるさとの偉人 孤高の登山家 加藤文太郎」(中澤大作)発行

関連書籍

  • 単独行
    加藤文太郎著

  • 孤高の人(上・下)
    新田次郎著

  • アラインゲンガー
    谷甲州著

  • 孤高の人
    坂本眞一作

  • マンガふるさとの偉人
    中澤大作作画

  • 多くの山岳雑誌で特集を組まれています


加藤文太郎記念図書館

加藤文太郎を顕彰して建てた図書館で、彼が駆け巡った山々をイメージし、階段の壁、書架のサインなど細部にわたり山のイメージを大切しています。
また、2階は加藤文太郎の遺品や資料を展示し、山に関する図書を所蔵しています。

  • 約10万冊の蔵書

  • 遺品の現物展示

  • 多数の山岳図書

  • アルプスの山々

  • 加藤の登山手帳

  • 藤木が詠んだ短歌